ずっと母親がしんどい②

29歳

私は、昨年結婚し現在無職になった29歳です。

前回に引き続き過干渉な母のことについて書いていこうと思います。

思ったより、長くなってしまったので

2つに分けて記事を書いております。→①https://haru29.com/mother/

大学受験までの、母親しんどいエピソードはいかがでしたでしょうか?

今回は結婚までの、話を書いていきたいと思います。

大学入学 

県外の大学には受かりませんでしたが

実家の近くの大学に受かり、通うことになりました。

彼氏ができた(当時18歳)

大学に入り初めて彼氏ができました。

自分にとって大切な人ができ

高揚感で思わず母親に話してしまいました(しなけりゃよかった)

彼が、医学部ではない点、実家が裕福でないことをしり。

そんな男とは釣り合わない!

早く別れなさいと言われました。

自分にとって大切な人をひどくけなされました。

母親とこのことについて話したくなさすぎて、

別れてはないですが別れたことにしました。

あなたは医者と結婚しなさい。洗脳完了。

彼氏ができたことを知ってからは

以前より過干渉するようになりました。

「あなたは、世の中のことを知らなすぎる。」

「医者ではないと、あなたは不幸になる。」

こんなことを言われ続け、私の頭の中も

私は医師と結婚しないと幸せになれないと

しっかり洗脳されていました。

1人暮らしをする決意

ささやかながら、こっそり彼と会う日々は私にとってはささやかな幸せで

結局、母親には秘密にし付き合い続けていました。

まともな価値観、私のことを肯定してくれる存在が居心地良くて

本当に医者と結婚しないと幸せになれないのだろうかと

疑問を持つようになりました。

当時は20歳だったのでまだ深くは考えていませんでした。

しかしこのままでは、私の心は壊れてしまうと思い

社会人になったら絶対に一人暮らしをすると決めていました。

実は、この時父親が当時がんであることをを知りかなり悩みました。

毎週帰ってくると父親と約束し

一人暮らしをできる会社を母親には内緒にし探すことにしました。

母親は専業主婦のため、就活のことは疎く

「一人暮らしをしないといけない会社だ」と言い張り

悩むスキも与えず家から出て行きました。

社会人に

社会人をきっかけに、目指していた一人暮らしを始めました

一人暮らし始まり

一人暮らしは最高でした。

息が深くできました。

帰ってガミガミ言われる必要もない。

自分が好きなことをできる。

私にとって、母親がいる実家は息苦しく窮屈でした。

思えば、私が自分の意思で何かを始めたのはこれが初めてだったかもしれないです

ちなみに彼氏は、転勤型の企業に入り遠距離恋愛を始めていました。

父親が亡くなった

社会人を始めて2年目くらいに、父親が亡くなりました。

毎週、帰ってはいたしたくさん話すようにはしていたけど

やはりもっと一緒に過ごせばよかったなと感じてもいます。

母親はしばらく、落ち込んでおり

幻覚を見ているようでした。

見合いさせたい母と無視する娘

私の父親は医師でした。

医師の妻という肩書きを失った母親

違う肩書きを身につけたいのか

私に仕切りに見合いをすすめてくるようになりました。(当時25歳)

あまりにしつこく、泣きながらずっと彼と付き合ってることを伝えました。

こんなラインが毎日届くんですよね。仕事にも影響はあるし。

息ができない。

母親は1人で、長く付き合ってる彼を捨てて

お見合いで出会った医者と結婚するというドラマチックストーリーを立てていたく興奮していました。

胸糞悪く気持ち悪かった。

私はしばらくして難聴になりました。

結婚適齢期がすぎ、母諦める

それでも私はお見合いを先延ばしにしまくり28歳になりました。

一人暮らしをしていたため、最低限しか会わずに済みました。

親戚の後押し、お見合いにおける20代というブランド価値が落ちることを悟り

次第に諦めていました。

ありがとう、説得してくれたおばさん。

結婚後

色々ありましたが結婚できました。

結婚当初は、絶対向こうの両親の資産を知りたいから

探偵をつけてやると意気込んでました。

挨拶の際、どんなことを言われるんのだろうと夫とそわそわしていました。

結局、夫との挨拶、両家顔合わせの際は、

母親は丸くなった猫のように何も話しませんでした。

母親は弱いのかもしれない

この時、私はやっと気づきました。

「母親は本当は弱い人間だったのだと」

弱い人間だからこそ、人の肩書きに頼り自分を大きく見せたかったのだと気づきました

肩書きを失った今の母親

結局、父親は先立ち

わたしは平凡な会社員と結婚をし

母親自身は大したスペックもない

ただの人になりました。(いやこれで十分だと思います)

ハイスペック友人からは嫌味を言われることもあるので

付き合いはやめ

今は父親の遺産と遺族厚生年金で愛犬と心穏やかに過ごしています。

大切な人(愛犬)がいる、会いに来てくれるそれだけで十分

と思えるようになったようです。

結婚後は、思ったより何もなく幸せに過ごせています。

最後に

ここまで読んでいただきありがとうございました。

私自身、母親に苦しめられた経験があり

今思えばパニック発作のようなものも起こしていたと思います。

今回の、私は色々なことが重なり母親とは今の所

大きく波風立たずに過ごせていますが

そうはいかない方も多いと思います。

最低限の連絡だけでも十分だと思いますし

縁を切ってしまう選択肢もあると思います。

家族だからこそ色々考えてしまう部分があるとは思いますが

似たような経験をしたことある人がいると

心が安心すると思います。


この本にも勇気づけられたので、一度読んで欲しいです。

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